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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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ワインランド ③
◆ユグノー(Huguenot)

1500年代後半、フランス国内でキリスト教徒の中のカトリック(旧教派)とプロテスタント(新教派=ユグノーと呼ばれていた)との間で宗教戦争(ユグノー戦争)が起こりました。(フランスはカトリックの国)
1598年4月、アンリ4世による「ナントの王令」で(条件付きではあるが)信仰の自由が認められ、戦争は終結しました。

ナントの王令 フォンテーヌブローの王令
※ナントの王令とフォンテーヌブローの王令
(フランシュフックHuguenot Memorial Museum別館展示物より)

しかし1685年10月にルイ14世による「フォンテーヌブローの王令」が発せられ、「ナントの王令」で認められた信仰の自由は禁止され、プロテスタントへの弾圧が再開されました。
フランス国内のユグノーたちは密かにフランスを離れ、ドイツ(プロセイン)、スイス、オランダ、イギリスに脱出しました。

ユグノーの避難ルート
※ユグノーの避難ルート
(引用 ※01)

ケープでの労働力不足に悩んでいたオランダ東インド会社は、オランダに逃れてきたユグノーたちにケープへの移住を促し、1688年から1699年にかけて300名ほどがケープに到着しました。
ユグノーには農民、手工業者、商人などが多く、中にはブドウ栽培やワイン醸造技術を持ったものもいました。(ユグノーはフランス南部の農民が多かった)
ケープに来たユグノーたちは、主にドラケンシュタイン地域のオリファンツフック(Olifantshoek:象の片隅)と呼ばれていたところに土地を与えられ、農地を開拓していきました。

ここの地名はのちにle Coin Français(「フランスの片隅」の意味)に変わり、現在はフランシュフック(Franschhoek:オランダ語で「フランスの片隅」という意味)という名前になりました。
彼らは農地に自分たちの出身地の名前をつけ、現在も農場や地名にその名前が残っているところが多くありますが、オランダ東インド会社の食糧生産のために移住してきたので、オランダ語の使用を命じられたことや、オランダ人やケープに奴隷として連れてこられたアジア人やアフリカ人との婚姻によって、フランス人としてのアイデンティは薄れていきました。

最初に割り当てられた農地
※フランシュフックに最初に割り当てられた農地
(ユグノー記念博物館展示物より)

オランダ東インド会社は食糧確保のために、入植者に対して穀物の栽培を優先して栽培するよう指示していましたが、ドラケンシュタイン地域の気候や地質はブドウ栽培に適していることがわかり、ユグノーたちによってドラケンシュタインでブドウ栽培やワイン醸造が始まりました。

ユグノーの生活道具① ユグノーの生活道具②
※ユグノーたちの生活の道具
(ユグノー記念博物館展示物より)



引用元:
※01 THE HUGUENOTS OF SOUTH AFRICA 1688-1988(Pieter Coertzen著)


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ワインランド | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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