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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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ダーバン(Durban) ③
◆インド人年季奉公労働者

1848年、ダーバン近郊に住んでいたエドムンド・モアウッド(Edmund Morewood)は、いち早くサトウキビの苗を輸入してサトウキビ栽培を始め、1851年にナタールで初めて砂糖を生産しました。
これをきっかけに、ナタールの農家が次々とサトウキビ栽培を始めて、耕作面積が広がっていきました。

それに伴って、農場での働き手が必要になってきました。
この時はすでに奴隷を使うことは認められず、新たな働き手を探しました。

もともとナタール周辺には、ズールー族が住んでいました。
農民たちはズールー族の人たちを農場従事者にしようと試みましたが、彼らの伝統的な役割分担では、農地を耕し作物を育てるのは、女性の仕事であったため、受け入れられませんでした。

以前、モーリシャスのサトウキビ農場でインド人と一緒に働いていたジェームズ・サンダース(James Saunders)が、労働力不足を解決する方法として、インド人を連れてきて農場で雇うことを早くから新聞を通じて訴えていました。
モーリシャスなどの他のサトウキビ生産地では、すでにインド人を年季奉公労働者として使用していました。(奴隷としてではなく)
※ 年季奉公とは、雇用者との間で契約を結び、決められた期間働く雇用制度の一つで、被雇用者は住み込みで働き、生活に必要な食糧や日用品は支給されましたが、給与は支払われないか、支払われたとしてもごくわずかなことが多かったそうです。
実際には奴隷制度の言い逃れに使われることもあり、ナタールでも年季奉公労働者は劣悪な環境で働かされていたようです。

植民地政府はこの提案を検討し、1859年にナタールクーリー法第14号(Natal Coolie Law No.14)が成立されました。(Coolie:インド人を中心といたアジア人の低賃金労働者を示す蔑称)
この法律では年季奉公の契約期間を5年とし、その後はインドに戻るか、ナタールに住み続けるか選択することができました。

次の年(1860年)の11月には、最初のインド人労働者342人がナタールに到着しました。
アメリカの南北戦争の終結(1865年)によって世界の砂糖価格が急落し、1866年から1874年まで、新たな年季奉公者の流入はありませんでしたが、砂糖農場の労働力として不可欠な存在として、継続的にインド人労働者がやってきました。
契約が終了した労働者は、インドに戻る費用を出せなかったこともあり、多くはナタールに残り、行商人、漁師、仕立て屋、洗濯屋、料理人、職人、商人、機械工、園芸農業者として独立し事業を始めました。

また、年季奉公による移住が始まると、裕福なインド人も自らの費用でナタールに移住し、事業を始めたものもいました。
当時のイギリス帝国(イギリスとその植民地・海外領土を含んだ領域)の住民(帝国臣民)は人種や肌の色を問わず、帝国内での自由な移動・居住を保証されていました。
インドのマハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)もこの制度を利用して3年間ロンドンに留学し、法廷弁護士の資格を取得しました。
その後ナタールのインド系労働者からの依頼によって、1893年にガンジーもナタールに来ました。

ナタール植民地内でのインド人の急増と彼らの起業によって、白人たちは危機感を感じ、彼らに対する好意的な感情が憎悪(差別)に変わっていきました。
白人たちのインド系住民への差別に対して、ガンジーは21年間弁護士としてナタールでインド系住民の権利復活の活動をし、その中で「非暴力・不服従」という手法を生み出しました。

インド人の年季奉公のための移民は、年季奉公制度が終わる1911年まで続き、およそ50年間で15万人がナタールに移り住みました。
現在、ダーバンには彼らの子孫が130万人ほどいて、インド国外にある最大のインド人街とも言われています。


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ダーバン | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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