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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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ケープ半島 ⑥
◆鉄道

1814年にシモンズ湾がイギリスの海軍基地になり、港や町(サイモンズタウン:Simon’s Town)が整備され発展していったと同時に、サイモンズタウンとミューゼンバーグ(Muizenberg)までの陸路も、当時の植民地総督チャールズ・サマセット(Charles Somerset)の指揮によって道路が整備されました。

道路ができたことによって、ケープタウンからサイモンズタウンまで馬車や牛車で行き来することが可能になりましたが、岩場や砂地を通る道路であったため、快適に通行するとまではいかなかったようでした。



1869年、キンバリー(Kimberley)でダイヤモンドが発見されたことで、ケープ植民地内の鉄道網の構築に拍車がかかりました。

ケープタウン、ポートエリザベス(Port Elizabeth⇒2021年3月23日からゲベーハ:Gqeberhaに改称)、イーストロンドン(East London)などの湾岸都市からキンバリーなどの内陸部を繋ぐ鉄道が建設され、さらにそれらの鉄道も互いに接続されるようになりました。

それらと同じく、軍港だったサイモンズタウンにも鉄道を引く事業が始まりました。

1882年にミューゼンバーグまで、翌年にはコークベイ(Kalk Bay)まで鉄道が延びました。
サイモンズタウンまではさらに時間がかかり、1890年になってようやく完成しました。

Kalk Bayを通る線路と馬車(1910年)
※コークベイを走る線路と馬車(1910年頃)
(Posthuys博物館展示物)

St Jamesを走る蒸気機関車(1906年頃)
※セントジェームズを走る蒸気機関車(1906年頃)
(Rohdes Cottage博物館展示物)

Sunny Coveを走る蒸気機関車(1925年頃)
※サニーコーブ(フィッシュフックの南)を走る蒸気機関車(1925年頃)
(Fish Hoek Valley博物館展示物)

Simon's Townに向かう線路(現在)
※サイモンズタウンに向かう線路(現在)

鉄道が開通したことで、フィッシュフック(Fish Hoek)やコークベイで陸揚げされていた魚もケープタウンの町やダイヤモンドの採掘で活気づいているキンバリーなどの内陸部に大量に効率的に運べるようになりました。



しかしそれ以上に、漁業や捕鯨を行う貧しい人たち(黒人や有色人種)が中心に生活していたミューゼンバーグやコークベイの様子が、鉄道によって一変してしました。

Muizenbergから南の海岸線を望む(現在)
※ ミューゼンバーグから南の海岸線を望む

鉄道は貨物を運搬するだけでなく、馬車を所有できないあまり裕福でない人々も運び、日帰りで海水浴や日光浴などを楽しもうと、多くの人がミューゼンバーグやコークベイなどの砂浜を訪れるようになりました。

Muizenbergビーチの人々(1906年頃)
※ミューゼンバーグビーチに集まった人々(1906年頃)
(Rohdes Cottage博物館展示物)

Muizenbergビーチの日光浴客(年代不明)
※ミューゼンバーグの日光浴客(年代不明)
(Posthuys博物館展示物)

Muizenbergビーチの海水浴客(第一次大戦頃)
※ミューゼンバーグビーチの海水浴客(第一次大戦頃)
(Rohdes Cottage博物館展示物)

Kalk Bayのタイダルプールの海水浴客(1925年頃)
※Kalk Bayのタイダルプールの海水浴客(1925年頃)
(Posthuys博物館展示物)

鉄道が開通した頃に終結したボーア戦争(1880~1881年/1899~1902年)の兵士たちも休息の場としてこの海岸に集まってきました。

集まってくる人たちのために、タイダルプール(Tidal Pool:潮の満ち引きを利用して水を溜める海水プール)、更衣小屋や休憩所(Pavilion:パビリオン)、ホテルなどの宿泊施設などができました。

Muizenbrgビーチと木造パビリオン 1(年代不明) Muizenbrgビーチと木造パビリオン 2(年代不明)
※ 1911年にMuizenbrgビーチに建てられた最初の木造パビリオンとビーチで海水浴や日光浴を楽しむ人々
(Posthuys博物館展示物)

また、裕福な人たちもこの地域に別荘を建て、余暇を楽しむようになりました。
ダイヤモンドや金で大富豪になり、ケープ植民地の首相にもなったセシル・ローズ(Cecil Rhodes)がミューゼンバーグに小さな家を所有し、晩年を過ごしたことで、ダイヤモンドや金で大儲けした富豪たちも真似をしてミューゼンバーグやコークベイに別荘を持つようになりました。

Rhodes Cottage(現在博物館)
※ 現ローズコテージ博物館

1900年代に入ると、イギリスと南アフリカを結ぶ定期貨客船も就航し、海外からの観光客もやってくるようになりました。
ウォーターフロント(V&A Waterfront) ⑨

こうして鉄道が開通したことによって、ミューゼンバーグやコークベイは漁業・捕鯨の静かな村から一大リゾート地へと変貌しました。



※フォルス湾で捕獲されたクジラから脂を取るために大鍋で煮るとき、ひどい悪臭が出るため、捕鯨基地がサイモンズタウンからコークベイに移されましたが(ケープ半島 ③)、コークベイにも人が集まったことで苦情が出たため、フィッシュフックやミューゼンバーグの東(海水浴場から離れた場所)に捕鯨基地が移されました。


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ケープ半島 | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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