2022-05-20 Fri
◆イギリスの植民地1802年にイギリスとフランスの間で「アミアンの和約」が締結し、ヨーロッパに平和が訪れたかに見えましたが、実際は和約で取り決めたことが守られなかったために、ケープ植民地がイギリスからフランスの衛星国であったバタヴィア共和国(現在のオランダ)に返還された1803年、また戦争が始まってしまいました。(ナポレオン戦争)
イギリスは再びケープ植民地がフランスに支配され、喜望峰まわりの貿易ルートが脅かされるのではないかと懸念し、1805年7月にケープ植民地に軍隊を派遣しました。
その年の年末から翌年の年明けにかけてイギリス軍の艦隊はテーブル湾(ロベン島周辺)に到着し、現在のメルクボスストラント(Melkbosstrand)の海岸から上陸して、1月8日にブローバーグの戦い(Battle of Blaauwberg)が始まりました。
この戦いもイギリス軍の兵力にはかなわず、バタヴィア共和国側は最終的に1月18日に降伏し、ケープは再度イギリスの支配下に置かれることになりました。
ヨーロッパでは、ナポレオン戦争は1814年と1815年のパリ条約によって終結し、また1814年のロンドン条約によって、ケープ植民地は正式にイギリスのものとなりました。
その後、1910年5月31日に南アフリカ連邦が建国されるまで、ケープはイギリスの植民地として続きました。
◆サイモンズタウン(Simon’s Town)
1814年に正式にケープはイギリスの植民地となり、それと同時にシモンズ湾はイギリス海軍の南大西洋艦隊の基地として、新しい港の建設が始まりました。

※サイモンズタウンの町と港
また、それと同時に港の周辺にも、住宅や商店、病院、教会、学校なども建設され、町には湾の名前からサイモンズタウン(Simon’s Town)という名前が付けられました。(名前が英語読みに変わった)
蒸気船が登場すると、1850年代から港湾施設が拡張され、サイモンズタウンは軍港町として発展していきました。
1880年代終わりに起きた2回のボーア戦争では兵士や物資の輸送を、2つの世界大戦においても連合国側として軍艦などの船の修理をするなど、この基地は大きな役割を果たしました。
※ボーア戦争:イギリスとアフリカーナー(オランダ東インド会社時代にケープに移住し、定住した白人)と間で起きた戦争
ケープがイギリスの植民地から解放され、自治領南アフリカ連邦になったのは1910年ですが、その後も南大西洋の戦略的な要衝としてイギリスの海軍基地として使い続けられ、1957年にようやく南アフリカ連邦に譲渡されました。
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