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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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ケープ半島 ①
皆さんがケープ半島の先端にあるケープポイントや喜望峰、ペンギンのいるボウルダーズを観光する際、たいていケープ半島のフォルス湾(False Bay)側の海岸を通って行きます。

ケープ半島の町とケープタウンの位置
(引用 ※01)

観光された方の中には、休憩や昼食を取るために途中の町に立ち寄られた方もいらっしゃるかもしれません。

今回から、ケープ半島のこれらの町について紹介していきます。



◆冬の避難港

オランダ東インド会社が貿易船の食糧補給基地を建設するために、ケープにヤン・ファンリーベック(Jan van Riebeeck)率いる会社の入植者たちがやってきたのは、1652年のことでした。

シグナルヒルから市内中心を望む
※シグナルヒルよりケープタウンの中心を望む

会社の入植者たちは、現在シティ・ボウル(City Bowl)と呼ばれるケープタウンの町の中心部(テーブルマウンテンの北側)に拠点を置き、住居や農地を開拓していきました。

テーブルマウンテンからテーブル湾を望む
※ テーブルマウンテンからケープタウンとテーブル湾を望む

ケープタウンの町の前には、北に開けたテーブル湾があります。
ケープタウン周辺には、夏の季節には南からの強い風(ケープドクター)が吹き、冬の季節には嵐がやってきて、北から強い風がテーブル湾の中に吹き込みます。

荒れた海 Samuel Walters作 1840年
(キャッスル William Fehr Collectionより)

当時の船は帆船で、テーブル湾に入ってきた船は、沖に投錨して停泊していましたが、強い風が吹くと船が流されることも多く、特に冬の季節の北風で陸地に向かって流され、船が浅瀬に乗り上げてしまうこともよくありました。(ウォーターフロント(V&A Waterfront) ①

船の座礁を防ぐため、入植者たちは冬の嵐がやってきても、船が座礁しない安全な停泊地を求めていました。

1671年、オランダ東インド会社は、フリュート船イッセルスタイン(Isselsteijn / Ysselsteyn)号をオランダから派遣してフォルス湾(False Bay)の調査を行い、現在のサイモンズタウン(Simon’s Town)の前にある湾が冬の避難場所として適していると報告を受けました。
(その時は船の名前を取って、イッセルスタイン湾と名前が付けられました)

ケープの地図(1729年?)
※1729年頃の地図 つづりが違いますが「Eʃselsteens Bay」と書かれています。
(ケープタウン大学ブレークウォーターキャンパス内展示物)

その後、1679年にケープ植民地の総督に就任したシモン・ファンデルステル(Simon van der Stel)は自ら指揮してフォルス湾を数回にわたって調査し、1687年に詳細な地図(海図)を作成したことでフォルス湾内の航行が安全に行えるようになりました。
また、のちにイッセルスタイン号が報告した湾にシモンズ湾(Simonsbaai:英語でSimon’s Bay)と名前が付けられました。(総督の名前のシモン:Simonの湾)

シモンズ湾が冬の避難場所としていいことはわかりましたが、オランダ東インド会社の拠点(ケープ植民地)であるケープタウンの中心(テーブル湾)から距離があり、それらを結ぶ陸路もありませんでした。
また、避難している間の船員の食糧や宿泊施設も湾にはなかったため、しばらく避難場所として活用されていませんでした。

しかし、冬の嵐で船が被害を受けることはその後も続き、1722年や1737年にはアジアで貨物を大量に詰め込んでオランダに向かっていた貿易船が座礁して貨物が台無しになったり、多くの船員が亡くなる事件が起きたこともあり、1742年にようやく会社はシモンズ湾を避難港とすると決定し、翌年から港や宿泊施設など、船がしばらく停泊できるような施設の建設が始まり、小さな港町ができました。



引用元:
※01 OpenStreetMap


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ケープ半島 | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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