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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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コンスタンシア(Constantia) ②
◆コンスタンシアの分割
ファンデルステルが1712年に亡くなったとき、彼の4人の息子たちはケープにいませんでした。
2人はケープを追い出されてオランダに、1人はインドネシアのアンボイナで知事を、もう1人は乗っていたバタビア(オランダ東インド会社のアジアの拠点:現在のインドネシア・ジャカルタ)行きの船が行方不明になっていました。

そのためコンスタンシアの土地は息子たちには引き継がれず、3つの土地に分割されてオークション形式で売却されました。

3つに分割された土地は、グルート・コンスタンシア(Groot Constantia)、クレイン・コンスタンシア(Klein Constantia)、ベルフフリット(Bergvliet)という名前で呼ばれ、その後も何人もの人の手に渡り、さらに分割・統合を行いながらコンスタンシアは引き継がれていきました。
(クレイン・コンスタンシアは、のちにデ・フープ・オプ・コンスタンシア(De Hoop op Constantia)という名前に変わり、最終的には現在のグルート・コンスタンシアに吸収されました)

ただし、これらの土地を購入した人たちの中には不動産投資を目的にした人もいて、ファンデルステルが亡くなった後、コンスタンシアのすべての土地でブドウ栽培やワイン醸造が熱心に行われていたわけではなかったようです。


◆コンスタンシア(Constantia)という名前
ファンデルステルがこの土地を与えられたきっかけが、インド評議会委員ライクロフ・ファンゴエンス(Rijckloff van Goens)の提言だったため、彼の娘の名前「コンスタンシア(Constantia)」をこの地の名前にしたと言われています。

他にも、オランダからバタビアを往復する貿易船で、ケープに立ち寄った船の名前の一つ「Constantia号」から取って名付けたとも言われています。

ただし、Constantia号がケープに立ち寄ったのは、1667年12月24日から1668年1月24日までで、ファンデルステルがこの土地を会社から譲り受けた1685年とは20年近くのずれがあるのと、ファンデルステルがケープに来たのも1679年なので、Constantia号がケープに立ち寄ったことは知らなかったはずです。(この時のConstantia号は1665年から1668年までオランダ東インド会社が借りていた船)

後に1782年にもConstantia号という名前の船がオランダ東インド会社によって建造されました。(オランダとバタビアとの間を4回往復し、5回目の航海の途中、1795年にマラッカでイギリス軍に拿捕されました)


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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