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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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ウォーターフロント(V&A Waterfront) ②
◆歴史②

テーブル湾で停泊(補給)する船舶の増大と安全確保のため、大きな港(防波堤や港湾施設)を新しく作ることになりました。

テーブル湾の新しい港の建設を始めるにあたり、イギリスのビクトリア女王の次男アルフレッド王子が、1860年9月17日に新しい港の定礎式(建物の土台となる最初の石を置く、建設を開始するための儀式)を行いました。
実際は桟橋の上から海に瓦礫を落としたようですが、その様子を見物しに2万人もの人が集まったそうです。

アルフレッド港の定礎式
(引用 ※02)


アルフレッド王子(1844年生まれ)は1856年に海軍に入隊し、1858年に海軍士官候補生としてユーライラス号(HMS Euryalus)に乗船し、1860年7月、ケープまで来ていました。
アルフレッド王子はその後、1867年からガラティア号(HMS Galatea)で世界一周航海に出た際、ケープに新しく建設された港(アルフレッド港という名前が付けられた港:完成は1870年)に入港しています。

アルフレッド港ができた頃の様子
(Chavonnes Battery Museum展示物)

アルフレッド港ができた頃のテーブル湾
(引用 ※03)

同じ頃、エジプトに地中海と紅海を結ぶスエズ運河が完成(1869年)し、ヨーロッパとアジアを往来する船がスエズ運河を利用するようになりました。
一方、船にも変化が起き、蒸気機関が船の動力に採用されたことや、1800年代後半になって金属製の船体が採用され始めたことで、船が大型化していきました。

※ ロンドンから横浜まで船で航行するとき、スエズ運河を通った場合は20,400km、喜望峰回りで航行した場合は26,900kmあるそうです。

スエズ運河を航行できないサイズに大型化された船は引き続きケープを経由して往来したことと、1867年のキンバリーでのダイヤモンド鉱床の発見、1886年のヨハネスブルクでの金鉱床の発見で多くの船がケープをはじめとする南アフリカの港を利用しました。

RMMV Athlone Castle SS Armadale Castle
(South African Maritime Museum展示物)

それに伴い、アルフレッド港では手狭になり、より大きな港の建設が必要になりました。
アルフレッド港の沖に防波堤を伸ばし、1905年、ビクトリア港(Victoria Basin)が完成しました。

ビクトリア港ができた頃の様子
(South African Maritime Museum展示模型)

第二次世界大戦中(1939年~1945年)にも寄港する船団が多かったことで、テーブル湾を大きく埋め立てて拡張し、1945年にダンカンドック(Duncan Dock)が建設されました。

※ 第二次世界大戦中、地中海ではイタリアやドイツが勢力を伸ばしていたので、連合国はスエズ運河を使わず喜望峰を回ってインド洋に出ていました。

さらに近代になって巨大なコンテナ船が就航するようになったことで、コンテナを積み下ろしできるように、1977年にベン・シューマンドック(Ben Schoeman Dock)が建設され、現在のケープタウン港の全体像が完成しました。

Waterfront地区 Table Mountainより
(Table Mountain山頂から)

もう一方で、1960年代まではアルフレッド港やビクトリア港は漁船などの小型の船も多く利用されていましたが、港が大型化し国際港湾施設として隔離されたため、一般市民が利用できない地域となってしまいました。

1984年に市長から港湾地域の公共利用の提案があったことで、1988年に商業/観光/住宅の開発を目的とした公社が設立され、ビクトリア アンド アルフレッド ウォーターフロント(Victoria & Alfred Waterfront:Capetonianは単にWaterfrontと呼んでいます)の開発が始まりました。

それ以降、いくつかの段階に分けられ、港湾地域の開発が進められてきました。
多くの観光客がショッピングや食事に行くビクトリアワーフショッピングセンタも、1996年から1997年にかけて建設されました。

港湾地域は現在も新たな開発が進められています。

テーブル湾の開発の変遷
(ウォータフロント内の展示物)

再開発地区
(再開発地区)



引用元:
※02 Cape Town Book(Struik Travel & Heritage) 第1版
※03 Cape Town International Convention Center : Historical Background Report


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

V&Aウォーターフロント | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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