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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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ボ・カープ(Bo-Kaap)地区 ①
Bo-Kaapはアフリカーンス語で「岬の上」という意味。
ケープタウンの中心地にあり、シグナルヒルの東斜面に位置する地域です。
ここはカラフルな色の家が並ぶ地域で、必ずといっていいほど観光案内や写真集に写真が使われます。

撮影ポイント 1 _ Bo-Kaap

現在のケープタウンの様子
(引用 ※01)

この地域の住宅がカラフルに色付けされるようになったいきさつ(説)はいくつかありますが、奴隷として連れてこられた人々がこの地域に住み、その人たちがイスラム教徒であった(入信した)ことが鍵のようです。


◆なぜ、この地域に奴隷たちが住んでいたのか?

1760年代のケープタウンの様子
(引用 ※02)

1760年、ヤン・デ・ワール(Jan de Waal)という白人が、現在のボ・カープ地区を買い取ってワイン農場を始めました。
彼の農場には、彼の家族が住む家と、そこで働く奴隷たちを住まわせるために小さな家をいくつも建てました。
その一つが現在この地区にあるボ・カープ博物館と言われています。

1780年以降この地域の開発が進み、住居が増えてヨーロッパからの移民が住み始めました。
1834年の奴隷制度廃止以降、ここに住んでいた白人系移民がケープ郊外に移住し、空き屋になった家に解放された奴隷たちが住み始めました。
ヤン・デ・ワールが亡くなって以降、彼の家族もステレンボッシュ(Stellenbosch)に移住し、現在もそこで彼の子孫がワイン農場を営んでいます。


◆なぜ住宅の壁をカラフルな色を塗っているのか?

●説① 奴隷解放

1806年にイギリスが2度目の占領をした後、1833年にイギリス本国で奴隷制度廃止法が成立し、翌年にケープでも奴隷たちが解放されました。
解放された奴隷たちは、その喜びを込めて、壁の色を思い思いの色に塗り替えたという説があります。
(それまで奴隷たちが住んでいたのは、壁が白いケープダッチ様式の家屋でした)

●説② イード・アル・フィトル(Eid ul-Fitr)

ボ・カープ地区にはイスラム教徒が多く住んでいましたが、イスラム教の行事の中で、ラマダン明けを祝うイード・アルー・フィトル(Eid ul-Fitr)というお祭りがあります。
このお祭りでは、家を飾り付け、新調した衣装を着て集会場に出向いたり、親戚友人を訪問したり、豪華な食事を用意してもてなします。
その「家を飾る」代わりとして壁にカラフルな色を塗ったという説もあります。


◆ケープにおける奴隷

オランダ東インド会社がケープを食料補給基地として以来、同じく植民地だった東南アジア島しょ部(マレー半島、インドネシアなど)、インド、マダガスカル、モザンビーク、東アフリカからアジア人や黒人が労働力として連れてこられました。
オランダ東インド会社が東アジアを植民地化した際、統治の脅威になるとして、追放する目的でケープに連れてこられた統治反対派や宗教指導者(特にイスラム教)なども多かったそうです。

◆ケープ・マレー

ケープでケープ・マレー(Cape Malay)または単にマレー(Malay)と呼ばれている名前は、初めはオランダ東インド会社が植民地化した東南アジア島しょ部から奴隷として連れてこられた人々(マレー語を話す人々)を指していましたが、イスラム教徒が多かったことと、のちにその他の地域から連れてこられた奴隷たちもイスラム教に入信し同じグループにまとめられたため、イスラム教徒のコミュニティー・文化を示すようになりました。

東南アジア島しょ部から連れてこられた人たちの中には、服の仕立て屋、靴屋、石工、銀細工師などの技能を持った職人も多く含まれていたそうです。

ボ・カープ地区には多くのマレー人(イスラム教徒)が住んでいたため、アパルトヘイト制度の一つであるグループエリア法(1950年)では、ボ・カープ地区はマレー人(イスラム教徒)の居住地として割り当てられました。

一見華やかな場所ですが、虐げられてきた人たちの歴史を持つ地域です。



引用元:
※01 Bing Map
※02 Cape Town Book(Struik Travel & Heritage) 第1版


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ボ・カープ地区 | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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