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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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カンパニーズガーデン (Company's Garden) ②
◆カンパニーって何?

ケープにヨーロッパ人が来て開拓しようとしたのは、この土地に攻め入って植民地化し国土(領土)を拡大しようとしたのではなく、自分達の所有する貿易船に食料補給するというのが始まりです。

バーソロミュー・ディアス(ポルトガル)が喜望峰を発見して以来、ポルトガル人もアジアとの往復の途中、この地に立ち寄り、原住民であったコイコイ人(牧畜民)と交易(物々交換)して食料を調達しようとしましたが、コイコイ人にはその意思(欲)がなかったことで、食料調達がうまくいきませんでした。

コイコイ人との小競り合い
(Castle of Good Hope 内のミリタリー博物館 展示物)

幾度となくコイコイ人と交渉を重ねて食料調達を試みましたが、言葉が通じないためか、そのたびに小競り合いが生じ、負傷者や死者も出たそうです。
そのため、ポルトガル人はこの地で食料調達することを諦めました。

その後、1500年代の終わりにはポルトガル以外にもイギリス、オランダ、フランスなどもインド/アジアとの間で船を行き来させ交易を始めましたが、それらの船もケープで止まることなく沖合を通過していました。

テーブル湾のオランダ船
(Castle of Good Hope 内のWilliam Fehrコレクション 展示物)

その中でオランダ東インド会社という貿易会社が1652年に食料補給基地としてケープに入植し、会社の農地を開拓しました。
ですから、会社の農地=カンパニーズガーデン(Company's Garden)と呼ばれています。

カンパニーズガーデン看板

オランダ東インド会社が入植し開拓した農地は年を経るにつれ、食料用の野菜や果物以外に観賞用の花(バラ)や樫の木などもヨーロッパから持ち込まれ、また、アフリカ原産の植物も各地から集められて植えられました。

それにつれ、農場であったものが植物園へと様子が変わっていったのと、周りに建物が建てられ面積が縮小していきました。
一角には動物園も作られたそうです。
(街の中心では作物の栽培は減りましたが、入植者が増えて農地はケープ周辺に広がりました)

1700年代終わりには、オランダ東インド会社の資金不足で手入れがされず、かなり荒れた状況だったようで、1795年から1803年の第一回目のイギリスの占領時代には周りを塀で囲って人が入れなくした時期もありました。

1803年にイギリスからオランダ(その当時はバタビア共和国)にケープが返還されると、カンパニーズガーデンは整備され、人々の憩いの場へと変わっていきました。
1892年に街の公園として移管され、1962年、カンパニーズガーデンは国定公園に指定されました。

現在のカンパニーズガーデン
(引用 ※03)

引用元:
※03 google map


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

カンパニーズガーデン | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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