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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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ワインランド ⑪
●KWVの設立
P.J. ハノン(P.J. Hannon)や、レイモンド・デュボア(Raymond Dubois)が協同組合型ワインセラーを提唱していた同じ頃、チャールズ W.H. コーラー(Charles W.H. Kohler)という人物が、1907年、南アフリカのワイン産業の保護と成長促進を目標に掲げた「植民地ワイン農家・ワイン商人協会」(Colonial Wine Farmers and Wine Merchants’ Association)を設立しました。

C.W.H Kohler
※チャールズ W.H. コーラー
(KWV Emporium展示物より)

コーラーは、ドラケンシュタインで育ち、パールで歯科医をしていましたが、1880年代に始まったゴールドラッシュでヨハネスブルクに移り住み、財を築きました。
その後、健康上の理由で引退し世界を旅していましたが、再びドラケンシュタインに戻って農場を購入し、ワイン生産を始めました。
彼は豊富な資金を使って高品質なワインを生産し、古くから営んできたワイン生産者よりも高い価格でワインを売るようになりました。

コーラーはハノンやデュボアが考えるのと同じように、協同組合を作ることがワイン産業の不安定さを改善できる方法だと確信していました。
彼は植民地ワイン農家・ワイン商人協会を通し、農民たちを集めて果実栽培やワイン醸造に関してディスカッションをしたり、実践的なデモンストレーションをするなど、熱心に教育を行いました。

同じ頃、国内戦争(第二次ボーア戦争:1899年~1902年)や第一次世界大戦(1914年~1918年)の影響があり、かつてないほどの価格暴落が起きました。

コーラーは、地域ごとの小さな協同組合がばらばらに活動するのではなく、全国的にまとまって組織的に活動させようと、1916年に各地域の代表者を集めて「南アフリカブドウ栽培協同組合連合会」(Co-operative Viticultural Union of South Africa)という組織を発足させました。

この組織の中で作成された計画・会則を持って各地のワイン農家を回り、組織への加入を呼びかけました。
この計画・会則は農家たちに受け入れられ、翌年末までに全国のワイン農家の90%以上から加入の署名を受け取ることができました。

こうしてコーラーは1918年の初めに「南アフリカワイン生産者協同組合協会」(KWV:Koöperatieve Wijnbouwers Vereniging van Suid-Afrika, Beperkt)という組織を発足させました。

KWV本社
※KWVの本部

KWVが発足されるとワイン商人たちと交渉し、ワインやブランデーの価格の安定化に努めました。
また同じ年に第一次世界大戦が終了したことで消費量の増加があり、価格の上昇もありました。

一時期ワイン商人の投機的な活動が原因で価格が下がりKWVの不信を招くこともありましたが、政府に働きかけることによって、蒸留用ワインの価格を管理する権限をKWVに与えるワイン・スピリッツ管理法(Wine & Spirit Control Act)が1924年に成立され、価格の暴落を引き起こす商取引を抑制させることができました。

その後KWVは余剰ワインから造られたブランデーを熟成させるための巨大な貯蔵庫(セラー)をパールに建設して海外向け(特にイギリス向け)にブランデーを輸出し始め、さらに近代的な設備と技術の導入や、シェリー酒やブレンド赤ワイン、オーデコロンの新商品開発、ワインを楽しむ文化を広めるワインハウスの設立、ワインの原産地証明など多様な活動に関わり、南アフリカのワインやブランデーのブランド向上に大きく貢献しました。
(KWVは1997年に協同組合から株式会社に変わりました)

KWVのワイン KWVのブランデー

KWVオーデコロン KWVオーデコロンの広告
(オーデコロンは第一南アフリカ香水博物館展示物より)
(オーデコロンの広告はKWV Emporium展示物より)

●品質の向上とブランドの確立
1940年頃になると協同組合型ワインセラーの仕組みも定着し、ブドウ生産者は地域ごとの協同組合に所属して、組合のワイン醸造設備やワインセラーでワインの生産・貯蔵をし、販売するようになりました。
ワインの販売は最初は組合が一括して行っていましたが、ブドウ生産者ごとに瓶詰めして自分のラベルを貼って販売するところも出てきました。(「ワインセラー」式ワイン)

第二次世界大戦(1939~1945年)後、ヨーロッパの伝統的なワイン生産国から実践的な知識や経験を得たり、科学技術の発展による近代的な設備の導入で、ケープで生産されるワインの品質は劇的に向上しました。
また、品質が向上したことで、従来生産されていたフォーティファイド・ワイン(ブランデーを添加した酒精強化ワイン)ではなく、テーブル・ワイン(食事をしながら飲む一般的なワイン)の生産も1950年代から始まり、白や赤、甘口や辛口など、多様なワインが造られるようになり、消費量も飛躍的に増えました。

スーパーに並ぶ南アフリカ産ワイン
※スーパーに並ぶ南アフリカ産ワイン

1960年代からは、大きな資本を持った個人や企業が農場を持ち、自前の醸造設備やワインセラーで生産する「エステートワイン」も現れ始め、人々がワインや食事を楽しむためにステレンボッシュやドラケンシュタイン地域を含むワインランドに足を運ぶようになりました。


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ワインランド | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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