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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

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ワインランド ⑨
●イギリス植民地時代
1800年代に入り、ケープがイギリスの植民地になった後、イギリスでケープ産ワインの需要が高まりました。
当時ヨーロッパではナポレオン戦争が起き、ナポレオンがイギリスの経済的な痛手を与えようと、大陸との貿易を禁止する大陸封鎖令を1806年に発令しました。

これにより、イギリスにフランス産ワインが入ってこなくなり、それを補うために1813年にケープ産ワインに特恵関税(減税措置)を与えました。
それまで過剰生産して満足な収入を得られなかった状況が、突然イギリスという巨大な市場が現れたことで、農民たちは大いに喜び、ブドウの木を増やし、イギリスへの輸出(依存)を大幅に増やしました。

戦争終結後、イギリスは1825年から特恵関税の税率を徐々に戻していきましたが、1861年にフランスとの自由貿易協定が結ばれると同時に、ケープ産ワインに対する特恵関税を撤廃してしまいました。
この協定が結ばれると、質の良いフランス産ワインがイギリスに輸入されるようになり、ケープ産ワインは行き場を失い、一気に余剰の発生(大量の廃棄)と価格低下を起こしました。

その後10年ほど経つと、1870年代のキンバリーでのダイヤモンドラッシュ、1880年代のヨハネスブルクでのゴールドラッシュにより、今度は植民地内(採掘者向け)に特需が現れ、過剰生産していた分を現金に換えることができました。

同じ頃、ヨーロッパではフィロキセラ(Phylloxera)という害虫がブドウの木を枯らし始めました。
そして、1886年にはケープタウンのブドウ畑(Mowbrayという地区)でもフィロキセラが発見されてしまいました。(コンスタンシア④
この害虫はケープタウン周辺だけでなく、コンスタンシア、ステレンボッシュ、ドラケンシュタインなど、ケープ中のブドウ畑に急速に広がりました。

この害虫によってワイン農家は大きな被害を受けましたが、同じ頃にケープにやってきたピックストーン(Harry Ernest Victor Pickstone)がブドウ以外の果樹への切り替えを農民たちに訴えまわったことで、農業の多角化が始まり、農民たちは安定した収入を得られるようになりました。(ワインランド⑦

引用元:
※アイキャッチ wikipedia ナポレオン・ボナパルト(書斎のナポレオン:ジャック=ルイ・ダヴィッド画)


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テーマ:南アフリカ - ジャンル:海外情報

ワインランド | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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