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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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ワインランド ⑥
●山脈越え
ウェリントンまで鉄道が到達した翌年の1864年9月、さらに山脈の東にあるウースター(Worcester)までの鉄道建設が計画されました。
この区間は南北につながる山脈を越える必要がありました。
馬車が峠越えをしていたベインズクルーフパス(Bain's kloof pass)は蒸気機関車にとっては勾配がきつくて登れないため、蒸気機関車が越えられる峠(タルバに抜ける現在のNuwekloof Pass)まで迂回しなければいけなかったことや、山の斜面に沿って線路を敷設するために小回りの利く車両の採用(見直し)が必要だったこともあって、1876年6月にようやくウースターまでの路線が開通しました。

鉄道の山脈越え
(引用 ※01)

●ダイヤモンドラッシュ
また、ウースターまでの鉄道建設を計画していた頃、1869年にキンバリー(Kimberley)でダイヤモンド鉱脈が発見されたことで、ウースターから先のキンバリーまでの鉄道建設の必要性も高まりました。
鉄道がウースターまで延びる間、内陸(キンバリー)に向かう人々はウェリントンから馬車に乗り換えてベインズクルーフパスを通って峠を越えていました。

ウェリントンには、ヨーロッパ人(ユグノー)が入植した頃から収穫した作物をケープタウンまで運ぶ荷馬車(牛車)を造る職人がいて、荷馬車造りの谷(Wagenmakersvallei:オランダ語 または Val du Charron:フランス語)と呼ばれていました。(荷馬車製造に必要な木材があったからと言われています)
内陸から戻ってきた荷馬車の修理や、新しい荷馬車を手に入れるのに、ちょうどよい場所でした。

1919年頃のドラケンシュタインの馬車工房の様
※時代が下りますが、1919年頃のドラケンシュタインの馬車工房の様子
(引用 ※02)

この地域が1840年に正式に町として設立された際、イギリスの初代ウェリントン公爵 アーサー・ウェルズリー(Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington)にちなんでウェリントン(Wellington)という名前が付けられました。
アーサー・ウェルズリーは、ナポレオン戦争のワーテルローの戦いでナポレオンを打ち破った軍人であり、のちにイギリスの首相も務めました。

ケープタウンからキンバリーまで鉄道がつながった1885年まで、鉄道の終着駅とキンバリーの間を何千もの馬車が往復しました。
また、その馬車輸送で大儲けしたイギリスの兄弟もいたそうです。

●フランシュフック・ワイン・トラム(Franschhoek Wine Tram)
長い間、自分たちの農産物を牛車で運んでいたフランシュフックの農民たちも、すでにパールまで来ていた鉄道を使って運びたいと考え、1904年にようやくパールの駅からフランシュフックまでの支線が建設されました。
1990年代に入ると、トラック輸送も始まり鉄道を使った輸送の必要性がなくなってしまい、フランシュフックの支線は廃止されました。

その後、2012年から使われなくなった線路にトラム(機関車)を走らせ、フランシュフックのワイナリを巡るツアーの乗り物として、再び使われるようになりました。

現在のフランシュフック・ワイン・トラ
※現在のフランシュフックのワイン・トラム

引用元:
※01 google map
※02 PAARL VALLEY 1687-1987(Human Sciences Research Council出版)




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ワインランド ⑤
●乗合馬車
1824年、ケープタウンとパールの間を週2回行き来していた郵便馬車に人を乗せて、旅客サービスを始めました。

鉄道が開通する前の乗合馬車
※場所は違いますが、鉄道が開通する前にケープタウンとWynbergというところを走っていた乗合馬車(年代不詳)
(引用 ※01)

1852年にはバス会社が設立され、翌年からケープタウンとパールの間を毎日乗合馬車が往復するようになりました。

1845年にはステレンボッシュとドラケンシュタイン北部のタルバ(Tulbagh)という町の間を乗合馬車が走り始め、1853年にウェリントンから東の山脈を超えるベインズクルーフパス(Bain's Kloof Pass)という峠道が完成したことで、その次の年からパールと山脈の東側にあるウースター(Worcester)という町も結ばれるようになりました。

Bain'sKloof Passを進む牛
(引用 ※03)

●鉄道
同じ頃、イギリスで開発された蒸気機関車の導入も検討されるようになりました。

Capeの最初の蒸気機関車
※ケープの最初の蒸気機関車
(ウェリントン博物館展示物より)

1857年にケープタウン鉄道ドック会社(Cape Town Railway and Dock Company)がケープ植民地政府より鉄道建設の許可を与えられ、ケープタウンから現在のベルビル(Bellville)、エルステリバー(Eerste River)、ステレンボッシュ、パールを経由してウェリントンまでの鉄道建設が1859年3月より始まりました。

ケープタウンとドラケンシュタインを結ぶ鉄道
※馬車道はIllustrated History of South Afrika(Readers Digest出版)を参照。
(地図引用 ※02)

鉄道は、1862年2月にエルステリバーまで、その年の5月にはステレンボッシュまで開通しました。
翌年3月にはパール、同年11月にはウェリントンまで到達しました。

Wellingtonの鉄道開通式の様子
※ウェリントンでの鉄道開通式の様子
(引用 ※04)

エルステリバーまで鉄道が開通すると、パールとケープタウンの間で乗合馬車を運行していたバス会社はケープタウンまででなく、鉄道の途中駅であるベルビルとの間を往復するようになりました。
乗合馬車の乗客たちは、どうも新しい乗り物に乗りたかったらしく、ベルビルからは鉄道に乗り換えてケープタウンに行ったようです。
その後パールまで鉄道が延びたことで、最終的にこのバス会社は解散してしまいました。

ベルビルは、ケープタウンからパールに向かう馬車道の途中にあり、ケープタウンから12マイル(19.3km)の所にあったため、以前は12マイルポスト(アフリカーンス語で「12-Myl-Pos」)と呼ばれていたところでした。

現在の12マイルストーンと街灯
※現在残っている12マイルストーンと石油ランプの街灯

1861年、当時ケープ植民地の測量長官だったチャールズ・ベル(Charles Davidson Bell)にちなんで、ベルビル(Bellville:ベルの町)という名前に変わりました。
チャールズ・ベル(Charles Davidson Bell)は、1813年スコットランドの生まれで、17歳の時ケープタウンに移り住み、植民地政府の測量部門で働き始め、1848年から測量長官となりました。
絵画の才能があったそうで、探検隊に同行してアフリカ各地の風景や先住民の様子をスケッチとして残したり、切手やメダルのデザインなどもしています。

チャールズ・ベルのスケッチ画① チャールズ・ベルのスケッチ画②

チャールズ・ベルのスケッチ画③
※チャールズ・ベルが残した先住民たちの生活を描いたスケッチ
(引用 ※01)



引用元:
※01  Cape Epic(Hymen Picard著)
※02 google map
※03 Bain’s Kloof Pass(Sandra Steytler and Hans Nieuwmeyer著)
※04 PAARL VALLEY 1687-1987(Human Sciences Research Council出版)




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