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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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ケープ半島 ③
◆漁業

貿易船が冬の嵐を避ける場所として、イッセルスタイン(Isselsteijn / Ysselsteyn)湾(のちにシモンズ湾)と呼ばれていた湾が適しているかを調査するよう、オランダ東インド会社が当時のケープ植民地総督のシモン・ファンデルステル(Simon van der Stel)に命じ、1682年から1687年にかけて調査されました。

その際、ファンデルステルは、船の座礁を防ぐために暗礁の有無や水深などのフォルス湾(False Bay)の地形を調査しただけでなく、食糧確保のための漁場としての可能性、陸上では飲料水確保のための淡水や農地に適した土地の有無など、広範囲にわたって調べました。

フォルス湾
(引用 ※01)

特にフォルス湾での漁場の調査は、ケープ植民地に移り住んできたヨーロッパ人や労働者として連れてこられた奴隷たちの人口が増えたことにより、新たな食糧補給の手段として、ファンデルステルにとっては貿易船の避難場所を調査する目的以外の重要なものでした。

調査の後、詳細な地図(海図)を作成するとともに、ファンデルステルはフォルス湾での漁業を会社に嘆願し、承諾を得ることができました。

漁港としては、フィッシュフック(Fish Hoek)、コークベイ(Kalk Bay)の砂浜を利用しました。
砂浜は漁に使う小舟を海から引き上げる斜面になり、地引網漁も行われました。

捕獲した魚をKalk Bayの浜で売る漁師(年代不明)
※漁で捕獲した魚をコークベイの浜で売る漁師(年代は不明)
(Kalk Bayの路上案内板より)

Fish Hoekビーチで行われていた地引網漁(1945年頃)
※年代が違いますが、1945年頃にフォルス湾(Fish Hoek?)で行われていた地引網漁
(Fish Hoek Valley博物館展示物より)

また、コークベイ周辺では貝も多く、貝殻を集めて窯で焼き、建物の建築資材として石灰も生産するようになりました。

砂浜に打ち上げられた貝殻(St James)
※ 海岸に打ち上げられたたくさんの貝殻(セントジェームズの砂浜にて)

この時、漁をする入り江としてVishoek(「魚の入り江」の意味)、石灰を生産する湾としてKalkbaai(英語で「Lime Bay:石灰の湾」の意味)と呼ばれるようになりました。
(のちに英語とオランダ語が混ざってFish Hoek / Kalk Bayという地名になった)

ケープタウンからシモンズ湾に食糧や生活物資を運ぶ馬車や牛車は、コークベイで荷物を下ろされ、ケープへの帰り道ではフォルス湾で捕られた魚や石灰が載せられて帰っていきました。
(コークベイで降ろされた荷物は、小舟でシモンズ湾まで運ばれた)

魚が豊富なフォルス湾には、それらを求めてやってくるクジラも多くいました。
のちにケープがオランダ東インド会社からイギリスの植民地に変わった後、商業捕鯨もフォルス湾で始まりました。

1906年ころから大手資本の大型のトロール船が湾内でイワシなどの小魚を捕り始めると、大型魚もいなくなって湾内の沿岸漁業は衰退していきました。



◆捕鯨

魚が豊富なフォルス湾には、それらを餌とするクジラも多く集まってきていました。

フォルス湾でよく見られるミナミセミクジラ(Southern Right Whale)は、海岸に近いところをゆっくりと泳ぐため、手漕ぎボートで追いかけて銛(モリ)を撃ちやすいことと、捕鯨の目的であった油が多いこと、ヒゲを持っているクジラであるために、捕鯨をするのに「適した(正しい)」クジラというところから英語名に「Right」という名前がついたそうです。

ミナミセミクジラ
(Muizenberg路上案内板より)

ケープがイギリスの植民地に変わった1800年代初めから商業捕鯨が始まり、1820年から1840年にかけては、捕鯨はケープにおいて農業とワインに次いで3番目に高い収入を得られる産業までになりました。

捕鯨の様子(年代不明)
※捕鯨の様子
(Fish Hoek Valley博物館展示物より)

脂身からとれる油や蝋は、ランプの油やロウソク、石鹸などの材料として使われ、ヒゲはコルセットなどに加工されて使われていました。
また、肉は食用に、骨は木材の代わりとして家具や家の装飾品、フェンスなどに使用されました。

クジラの骨が敷地の境界に使われていた様子
※クジラの骨が敷地の境界に使われていた様子
(Fish Hoek Valley博物館展示物より)

フォルス湾での最初の捕鯨基地は現在のサイモンズタウンのシーフォース(Seaforth:ペンギンコロニーのある地域)にありましたが、大鍋で煮て脂を取る際に出る臭いがひどく、近くの海軍基地から苦情が出たため、人の少ないコークベイに捕鯨基地が移されました。

クジラの脂を煮出した鍋
※クジラの脂を煮出した鍋

その後、フィッシュフックの砂浜からコークベイまでの間に捕鯨漁師たちの家が集まりました。

しかし、1800年代の捕鯨で相当数のミナミセミクジラがフォルス湾で捕獲され、絶滅の危機に瀕してしまい、1935年にはミナミセミクジラの捕鯨は終わり、現在は保護の対象になっています。



引用元:
※01 OpenStreetMap




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ケープ半島 ②
◆シモンズ湾への道のり

冬の避難港として、シモンズ湾には港や小さな町が作られました。

町には船が避難している間、一時的に滞在する船員だけでなく、町を建設する人々(奴隷)や港を守る兵士など、長期的に滞在(定住)する人も増え、ケープタウンの中心部からシモンズ湾の町まで陸路を使って物資を運ぶ必要がありました。

ケープタウンからシモンズ湾までの陸路
※ケープタウンからシモンズ湾までの陸路
(引用 ※01)

ケープタウンの中心部から現在のミューゼンバーグ(Muizenberg)の浜辺までは大きな障害もなく馬車や牛車を使って運搬できましたが、そこから先は簡単ではありませんでした。

St Jamesを進む牛車(1875年頃) ロバと荷車(1909年頃)
(Muizenbergの路上案内板より)

現在のミューゼンバーグ地区からセントジェームズ(St James)地区、コークベイ(Kalk Bay)地区にかけては山の斜面が海岸まで迫り、石ころだらけの道を馬車や牛車は進まないといけませんでした。

ミューゼンバーグからシモンズ湾までの難所
※ミューゼンバーグからシモンズ湾までの難所
(引用 ※02)

特にコークベイ地区からフィッシュフック(Fish Hoek)地区に抜ける場所(現在のTrappies Kopという山のふもと)は、トラッピーズ(Trappies:小さな階段という意味)と呼ばれ、険しい斜面を上り下りしなければいけない難所でした。

Trappiesの坂
(Muizenbergの路上案内板より)

また、フィッシュフック(Fish Hoek)地区は砂丘が広がっていて、馬車や牛車の車輪が砂に埋まり、身動きできなくなることもしばしばあったようです。

車輪が砂に埋まって身動きできなくなったバス
※時代が違いますが、フィッシュフックの砂地に車輪が埋まって動けなくなったバスを脱出させようと、乗客が押している様子を写した写真
(Muizenbergの路上案内板より)

そのため、ケープタウンから馬車や牛車で運ばれてきた荷物はトラッピーズの手前にあるコークベイの砂浜で小舟に乗せ換えられ、シモンズ湾まで運ばれるようになりました。



引用元:
※01 OpenStreetMap
※02 OpenStreetMap




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