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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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コンスタンシア(Constantia) ④
◆ケープワインの受難

●帝国特恵関税
オランダ東インド会社がオランダとアジアの間を往復する会社の船に食糧補給する基地を設立するため、ヤン・ファンリーベック(Jan van Riebeeck)一行をケープに派遣したのが1652年でした。
それ以来、ケープはオランダ東インド会社の植民地でしたが、1795年から1803年までの1度目のイギリス占領時代のあと、1806年から2度目のイギリス占領(植民地)時代が始まりました。

1800年代初めにヨーロッパで起きたナポレオン戦争の中で、イギリスとヨーロッパ大陸(フランス)との間の貿易が遮断されました。
ヨーロッパ大陸から物資を手に入れられなくなったイギリスは、代わりに植民地からの輸入品に対する関税の軽減(帝国特恵関税)を行って積極的に輸入したため、ケープで生産過剰だったワイン(一般的なワイン)がイギリス向けに大量に輸出されるようになり、一時的にケープのワイン生産者は大きな利益を得ることができました。

しかし戦争終結後からイギリスではヨーロッパ大陸からの物資も自由に手に入るようになり、徐々に特恵関税は緩和され、最終的には1861年に特恵関税が廃止されました。
ワインについても、フランスから良質なワインを輸入することができるようになり、イギリスがわざわざケープから運ぶことをやめてしまったことで、ケープでは消費しきれないワインが大量に余り、ワイン生産に大きな打撃を与えました。

そもそも、コンスタンシアで作られていた甘いデザートワインを除いて、その当時ケープで生産されていた一般的なワインは、ワインに向かないブドウ品種を使っていたり、農民に金銭的余裕がなかったこと、ワイン醸造に必要な設備や知識の不足などによって出来が悪く、ヨーロッパ(イギリス)ではとても評判が悪かったそうです。
(現在の南アフリカワインは、1900年代後半に入ってからのワインに適した品種の導入や、ブドウ栽培やワイン醸造の新しい技術の導入によって、世界のコンテストでいくつも賞を獲得するような質の高いワインが作られるようになりました)


●病害虫
1800年代後半に起きた大規模なブドウの病害虫により、ケープのブドウ生産に大きな影響を与えました。
1858年にうどんこ病(Oidium tuckeri)が、1886年にフィロキセラ(Phylloxera)がケープで見つかりました。

特にヨーロッパでも大きな被害を与えたフィロキセラ(ブドウの木に寄生するアブラムシ)の上陸は、ケープのワイン生産地にも広がり、ブドウの木は壊滅的な被害を受けました。(コンスタンシアでも1898年に見つかり被害を受けた)

幸い、ケープで見つかったころにはヨーロッパでフィロキセラに対する対処法(耐性のあるアメリカ産ブドウの根を台木として接ぎ木する)が発見されていたので、それまで栽培されていたブドウの木を引き抜いて焼却し、接ぎ木した新しいブドウの木に植え替えることで被害を収束させることができました。

フィロキセラの被害が広がったことで、コンスタンシアの甘いワインの生産は途絶え、ブドウ以外の果物の栽培を始めて多角化を図る農家もいました。


●苦難を乗り越えて ~ 現在
様々な苦難を乗り越えて、シモン・ファンデルステルが開拓したコンスタンシア地区は、近年新しく始めたワイナリも含めてワイン生産地の一つとして現在もワイン生産を続け、また、かつてヨーロッパで人気のあった魅惑的なコンスタンシアワインも復活されたことで、海外にも知られるワイン生産地の一つとして位置付けられています。



ワイナリに行った際、コンスタンシアの歴史を振り返りながらワインの試飲や食事をすると、より思い出深い経験になるのではないでしょうか。




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コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
コンスタンシア(Constantia) ③
◆コンスタンシア・ワイン
1700年代終わりにコンスタンシアという名前をヨーロッパに広めたのは、甘いデザートワインでした。

当時のヨーロッパ、とくに王侯貴族の間でもてはやされ、プロセイン、イギリス、フランス王室などで飲まれていました。
フランス皇帝だったナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日~1821年5月5日)も流刑地セントヘレナ島で過ごした5年半(1815年10月17日~死去)、わざわざこのコンスタンシア・ワインを取り寄せて飲んでいたといわれています。

また、ジェーン・オースティンの「分別と多感」(Sense and Sensibility:1811年)、シャルル・ボードレールの「悪の華」(Les fleurs du mal:1857年)、チャールズ・ディケンズの「エドウィン・ドルードの謎」(The Mystery of Edwin Drood:1870年)、ジョリス=カルル・ユイスマンスの「さかしま」(A rebours:1884年)といった当時の小説などにも登場するほど特別な存在でした。

シモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)の時代に造り始められたコンスタンシア・ワインは、彼の土地を購入したコリン家(Colijns)やクローテ家(Cloetes)らによって引き継がれていきましたが、1800年代の終わりにフィロキセラ(害虫)によってブドウの木が大きな被害を受けたことで途絶えることとなりました。

1980年、現在のクレイン・コンスタンシア(1712年当時のクレイン・コンスタンシアとは別な場所)を購入したダギー・ヨーステ(Duggie Jooste)は、シモン・ファンデルステルがワイン生産を始めた頃のブドウの木を探し出して栽培し、記録をもとにかつての製法をできる限り忠実に再現してコンスタンシア・ワインの復活を試みました。
1986年に初めてブドウが収穫され、1990年より「ヴァン・ド・コンスタンス(Vin de Constance)」という名前で甘いコンスタンシア・ワインの販売を始めました。

その後、2003 年にグルート・ コンスタンシア(Groot Constantia)というワイナリから「グランド・コンスタンス(Grand Constance)」という名前で、2007 年にバイテンフェルワハティング(Buitenverwachting)というワイナリから「1769」という名前でコンスタンシア・ワインを販売し始めました。




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