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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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カンパニーズガーデン (Company's Garden) ④
<見どころ ①>

◆Arch for Arch

Arch for Arch (カンパニーズガーデン入口)

アダリー通りに面する入口にあるモニュメントは、「Arch for Arch」(アーチ フォー アーチ)という名前がついています。
アパルトヘイト廃止の活動をしたデズモンド・ツツ名誉大司教(Desmond Tutu)の功績をたたえて2017年10月7日(デズモンド・ツツ名誉大司教の86歳の誕生日)に設置されました。
彼はその功績から1984年にノーベル平和賞も受賞しています。
ツツ名誉大司教には「The Arch」(アーチ)というニックネームがあるそうで、そこからこの名前がついたそうです。(大司教=archbishop)

Arch for Arch (憲法前文)

14本の木製のアーチは南アフリカ共和国憲法の全14章を表し、地面には憲法の前文が刻まれています。

アダリー通り ガバメント通り

また、ここはガーデンから海に向かうアダリー通りとガーデン内を通るガバメント通りを結ぶ地点です。
オランダ東インド会社が入植して以来、海岸と農場をつなぐ道路として、淡水を海岸まで流すための水路としても使われていたメイン通りです。

◆パブリックガーデン

パブリックガーデン入口

カンパニーズガーデンの中の柵で囲われた部分です。英国様式の庭園として1848年に作り替えられました。

パブリックガーデン 全体図

中央に直線的な通路と庭園内を散策できる曲がりくねった通路があります。

◆灯篭

灯篭

1932年に日本政府から寄贈されたものです。
1900年代の初め、日本から南米に移住する人が多くいましたが、日本人移住者を乗せた船(インド洋を横切り南米に向かった)がこの地に寄港したとき、日本人移住者の数日間の上陸が認められるなど、特別な計らいをしてもらえた感謝のしるしとして寄贈されたものです。
第二次大戦時に撤去されたこともありますが、その後改めてここに設置されました。

◆井戸

井戸 ハンドポンプ

この井戸と隣にあるハンドポンプ(木に埋め込まれたもの)は1842年に作られました。
深さは2.7mあるそうです。
以前は地下水で満たされハンドポンプで水がくみ上げられていたはずですが、今は地下水の水位も下がって枯れてしまっています。
ハンドポンプが木に埋まっていますが、どうやってこのような状態になったのか不思議です。

◆ラザフォードの泉(Rutherfoord Fountain)

ラザフォードの泉

壺とカップを持った女性の像です。
以前はアダリー通りにあったそうですが、交通量の増加で1897年にこちらに移されました。
今は置物のようになっていますが、今も足元の蛇口から水が出ています。
この像は、地元の慈善家ホーソン・ラザフォードの「慈善的な生活」に対して作られたものです。
ラザフォードは5年間、立法協議会のメンバとして務めました。

◆ソーンの泉(Thorne Fountain)

ソーンの泉 1 ソーンの泉 2

当時のケープ市の市長だったウィリアム・ソーン(William Thorne)の寄付で1900年に作られた噴水のある池です。
中央の少年の彫刻はイルカを抱いているとも魚を抱いていると言われていますが、形がよくわかりません。
池には鯉が泳いでいて、日本から贈られたものです。
ケープタウンにも鯉の愛好家がいます。

◆日時計

日時計

パブリックガーデンの中央にある日時計です。
最近誰かがノーモン(Gnomon:影を作る部分)を取ってしまったみたいです。
日時計には1781という数字が書かれていますが、ここに置かれたのは1848年だそうです。

◆鳥小屋

鳥小屋

以前はいろいろな種類の鳥を飼っていたようですが、写真を撮ったときは閉鎖されていました。
小屋の中の植物が伸び放題になっています。

◆スレーブベル(Slave Bell)

スレーブベル

この鐘はカンパニーズガーデンが農場として使われていたころ、ここで働いていた奴隷への合図に使われていました。
その後、農場から庭園へと用途が変わり、庭園の閉園時間を知らせるために使われるようになりました。
現在は使われていません。




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カンパニーズガーデン | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
カンパニーズガーデン (Company's Garden) ③
********************
◆カンパニーズガーデン 基本情報(2020年4月時点)

●開園日: 毎日
●開園時間: 7:00-19:00(パブリックガーデン)
●入場料: 無料
●webサイト: http://thecompanysgarden.com/
●wifi: フリーのwifiが使えますが、電波の状態がよくありません。

フリーwifi

●レストラン(The Company's Garden Restaurant)

カンパニーズガーデン レストラン

公園内にあるレストラン。
屋内にもテーブルがありますが、屋外にもテーブルが置かれているので、天気のいい日に木陰の下でランチやコーヒーを飲むのも気持ちいいです。

●トイレ

トイレ入口

レストランの脇にあります。
入口が独立しているので、レストランを利用しなくてもトイレは使えます。
他の場所にもトイレがありますが、汚いのと物騒なので、レストラン脇のトイレを利用してください。

●ビジターセンタ / 売店

ビジターセンタ

ケープタウンやカンパニーズガーデンの歴史を展示・紹介しています。
売店ではフィンボスのお茶やフレグランスも販売しています。

●安全

公園内は周りへの注意は必要ですが、警備員(Public Safetyと書かれた緑色のベストを着ている)もいるので人の少ないところに行かなければ比較的安全です。
芝生の上で死んだように寝ている人や、敷地内にホームレス等もいるので、雰囲気はあまりよくないかもしれません。
できれば観光ガイドと一緒に回ると安心です。

カンパニーズガーデン 全体図 パブリックガーデン 全体図
(引用 ※04)

********************



◆行き方

●タクシー(ドライバ付き車両)
市内の中心からでしたら、タクシーかドライバ付きの車両を使うのがいいです。
最近タクシーでクレジットカードのスキミングの被害にあった方がいるので、タクシーでは現金払いのほうがいいかもしれません。(乗る前に金額を確認)
タクシーは車の側面に会社名が入ったものを利用してください。帰りの分もきちんと頼んでおいてくださいね。
安全性を考えるとドライバ付きの車両を一日頼んで移動するほうがよいと思います。

UBERは車両も多く、欧米人観光客が使っているのをよく見ますが、あまりお勧めしません。(私は使いたくないです)
ハイジャックにあった知り合い(こちらの住人)もいます。
アプリで車両の位置がわかるためか、UBERやBOLTの車両が狙われていると言っていました。
そもそも、UBERを使うには屋外でネット接続できるようにしないといけないですし。。。

●車(レンタカー)
市内中心部は道路が狭いうえに、危ない運転をする業務車両等で混雑しているので、自分で運転する車で移動するのは、できれば避けたほうがいいです。

駐車はクイーンビクトリア通り(Queen Victoria Street)に路上駐車できます。
ただし、駐車スペースがいつも空いていないのと、トラックや大型バスも走る通りなので、接触事故を起こさないよう気を付けてください。
くれぐれも黄色線や赤色線の引いてある場所には駐車しないでください。
駐車料金はオレンジ色の帽子とベストを着た係員が路上にいるので、その係員に支払います。(15分で5ランドくらい)

●MyCiTiバス
アダリー通り(Adderley Street)上にあるGroote Kerk停留所を降りると下の写真のようなカンパニーズガーデンの入口が見えるはずです。
アダリー通りは少し危ないので、バスを降りたら十分周りに注意して入口に向かってください。
車道を横断するときは、車の動きをよく見て横断します。(歩行者用の信号はあてにしない)

カンパニーズガーデン入口(Groote Kerk停留所より)

●徒歩
ホテルから近いからといって、歩いて向かうのはお勧めしません。
街の中心で強盗被害にあわれた方が多くいます。
アジア人は非常に目立つので、ターゲットにされやすいです。

引用元:
※04 COMPANY’S GARDEN AND PRECINCT WALK (CITY OF CAPE TOWN)




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カンパニーズガーデン | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
カンパニーズガーデン (Company's Garden) ②
◆カンパニーって何?

ケープにヨーロッパ人が来て開拓しようとしたのは、この土地に攻め入って植民地化し国土(領土)を拡大しようとしたのではなく、自分達の所有する貿易船に食料補給するというのが始まりです。

バーソロミュー・ディアス(ポルトガル)が喜望峰を発見して以来、ポルトガル人もアジアとの往復の途中、この地に立ち寄り、原住民であったコイコイ人(牧畜民)と交易(物々交換)して食料を調達しようとしましたが、コイコイ人にはその意思(欲)がなかったことで、食料調達がうまくいきませんでした。

コイコイ人との小競り合い
(Castle of Good Hope 内のミリタリー博物館 展示物)

幾度となくコイコイ人と交渉を重ねて食料調達を試みましたが、言葉が通じないためか、そのたびに小競り合いが生じ、負傷者や死者も出たそうです。
そのため、ポルトガル人はこの地で食料調達することを諦めました。

その後、1500年代の終わりにはポルトガル以外にもイギリス、オランダ、フランスなどもインド/アジアとの間で船を行き来させ交易を始めましたが、それらの船もケープで止まることなく沖合を通過していました。

テーブル湾のオランダ船
(Castle of Good Hope 内のWilliam Fehrコレクション 展示物)

その中でオランダ東インド会社という貿易会社が1652年に食料補給基地としてケープに入植し、会社の農地を開拓しました。
ですから、会社の農地=カンパニーズガーデン(Company's Garden)と呼ばれています。

カンパニーズガーデン看板

オランダ東インド会社が入植し開拓した農地は年を経るにつれ、食料用の野菜や果物以外に観賞用の花(バラ)や樫の木などもヨーロッパから持ち込まれ、また、アフリカ原産の植物も各地から集められて植えられました。

それにつれ、農場であったものが植物園へと様子が変わっていったのと、周りに建物が建てられ面積が縮小していきました。
一角には動物園も作られたそうです。
(街の中心では作物の栽培は減りましたが、入植者が増えて農地はケープ周辺に広がりました)

1700年代終わりには、オランダ東インド会社の資金不足で手入れがされず、かなり荒れた状況だったようで、1795年から1803年の第一回目のイギリスの占領時代には周りを塀で囲って人が入れなくした時期もありました。

1803年にイギリスからオランダ(その当時はバタビア共和国)にケープが返還されると、カンパニーズガーデンは整備され、人々の憩いの場へと変わっていきました。
1892年に街の公園として移管され、1962年、カンパニーズガーデンは国定公園に指定されました。

現在のカンパニーズガーデン
(引用 ※03)

引用元:
※03 google map




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カンパニーズガーデン | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
カンパニーズガーデン (Company's Garden) ①
◆インド航路の発見

ヨーロッパの人々(キリスト教徒)は、かつては陸路を使ってインドやアジアから香辛料を中心とした交易品を手に入れていました。
しかし、1453年にオスマン帝国(イスラム教徒)が東ローマ帝国を滅ぼしたことによって、陸路を使って香辛料を手に入れることができなくなりました。
そのため、陸路を使わない新しいルート(海路)を開拓するため、ヨーロッパ諸国は未開の海に出ていきました。

その動きの中、ポルトガルのバーソロミュー・ディアス(Bartholomew Diaz)がアフリカ大陸に南端があることを発見(1488年)し、バスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)は海路を使ってインドまで行けることを発見(1498年)しました。

ポルトガルのインド航路発見
(引用 ※01)
※ディオゴ・カンは1485年にナミビアのウォルビス湾(Cape Cross)まで到達しました。

その後、この新しいルート(アフリカ周りの海路)を使って、ポルトガルは独占的にアジアとの貿易を始めました。

1500年代の終わり、ポルトガルの支配下にあったインドのゴア(Goa)の総督の秘書として働いていたヤン・ホイヘン・ファンリンスホーテン(Jan Huyghen van Linschoten)というオランダ人が、密かにポルトガルの海図を精密にコピーして出版したことによって、ポルトガルが独占していたアフリカ周りのアジア航路が開けました。
これにより、オランダ、イギリス、フランスなどの国は、海路を使ったインドやアジアとの交易を本格的に始め、1600年代初めには各国の東インド会社も設立されました。



オランダ東インド会社の貿易船の船団が1647年にケープタウン近くを航行中、その中のニューハーレム(Nieuwe Haerlem)号が海岸に乗り上げてしまいました。(3月25日)
船団はニューハーレム号の乗員60名と貨物を陸地に残し、いったんその地を去りました。
その1年後、彼らは救出されオランダに無事帰国することができました。
救出されるまでの間、残された乗員たちはテーブルマウンテンの麓に川を発見し、その水を飲料水としたり、野菜の種を植えて育てて食料にしたり、原住民と物々交換をしながら生き延びたそうです。

オランダに帰国後、彼らは会社の取締役会にケープで飲料水や野菜を育てるのに必要な淡水が得られることと、ケープが貿易船の食料補給基地として使えると報告しました。
それによって、オランダ東インド会社はケープに補給基地を建設することを決定し、ヤン・ファン・リーベック(Jan van Riebeeck)を指揮官として5隻の船団をケープに送り込みました。
彼らの船は、1652年4月5日にテーブル湾に到着し、その翌日(4月6日)にケープに初めて上陸しました。(2隻は遅れて到着した)


農地開拓の責任者ヘンドリック・ブーム(Hendrik Boom)は、ケープに到着後、すぐに農地に適した場所を探し始め、4月29日には種植えの準備ができたと記録しています。

その当時、現在のカンパニーズガーデンあたりに小川が流れていました。最初の農地もその川を中心に作られました。
今は街が整備されて埋められましたが、その川の水を海岸の砦や船に運ぶために、農地から現在のアダリー通り(Adderley Street)に沿って水路も作られました。

1679年頃のケープタウンの様子
(Slave Lodge博物館 展示物)
※ カンパニーズガーデンの周辺に川が複数流れていたことがわかります。


農地の目的は貿易船に補給する食糧の生産ですから、穀物、野菜、果物が中心でした。
その当時、船乗りに恐れられていた壊血病を防ぐために柑橘類が植えられたという記述もありましたが、「壊血病にはどうも柑橘類がよさそう」とわかったのは1700年代に入ってからなので、入植当時は特に柑橘類に注目して栽培してはいないと考えます。(栽培された果物の中に偶然あったかもしれませんが)

⇒ ビタミンCが発見され、その不足が壊血病の原因だとはっきりわかったのは1900年代に入ってからです。

ほかにも、ハーブや薬草も植えられたようです。
また、ヤン・ファン・リーベックの日記にオリーブの木に関する記述も残っています。
現在、南アフリカ(西ケープ州)でもオリーブが栽培され、オリーブオイルの生産がおこなわれていますが、この当時植えられたオリーブの木が継承されて現在のオリーブ農園になったのではなく、今から100年ほど前に新たに持ち込まれたオリーブの木をもとにオリーブ産業が始まったと言われています。

カンパニーズガーデンと町の様子(年代不明)
(カンパニーズガーデン ビジターセンタ 展示物)
※ カンパニーズガーデンからアダリー通りにかけて、整備された水路が通っていることがわかります。

のちにオーク(樫の木)やバラなどの観賞用の植物も植えられるようになり、農地だけでなく居住地などもアダリー通り(Adderley Street)やガバメント通り(Government Avenue)を中心に建設されていきました。

1760年頃のケープタウンの様子
(引用 ※02)
※ 赤い部分は建物。

引用元:
※01 Illustrated History of South Africa(Reader’s Digest) 第3版
※02 Cape Town Book(Struik Travel & Heritage) 第1版




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カンパニーズガーデン | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(1)