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Yoshi@Cape Town

Author:Yoshi@Cape Town
 
「Capetonianな暮らし」 ブログへようこそ!

南アフリカ共和国ケープタウン市に在住するCapetonian(ケープトニアン)です。観光ガイドもしております。こちらでは「Yoshi」と呼ばれています。1964年生まれ。岐阜県出身。東京にも30年くらい住んでいました。

自然の中で遊ぶことが好きで、日本では乗馬、ボートクルージング、魚釣り、パラグライダー、マイクロライトプレーンなどもしていました。こちらではあちこちにトレッキングルートがあるので、トレッキングも始めたいなと考えています。

皆さんからのご質問、コメント 楽しみにしています。

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コンスタンシア(Constantia) ⑤
◆コンスタンシア地区への交通手段

コンスタンシア地区は、車で30分程度かかります。

●ドライバ付き車両
費用は少しかかりますが、訪問する場所や滞在する時間を自由に決めて回ることができます。
1日使ってテーブルマウンテン登頂やカースティンボッシュ植物園訪問とも組み合わせて、コンスタンシアでワイナリ訪問(食事やワイン試飲)するのも一つの方法です。
また、ワイナリの開いている時間に気を付けなければいけませんが、ケープ半島を観光した帰り道に立ち寄るというのも可能です。

●レンタカー
ドライバ付きの車両同様、訪問する場所や時間を自由に決めることができて便利な方法ですが、ドライバの方はワインの試飲ができないのが難点です。
南アフリカ国内でも飲酒運転に対する罰則が最近厳しくなったことと、事故を起こしたら旅行が台無しになるので、飲酒運転はやめてください。

●City Sightseeing Tourバス(Hop-On Hop-Offバス)
Webサイト: https://www.citysightseeing.co.za/en/cape-town
ツアーバスに乗ってグルート・コンスタンシア(Groot Constantia)、ビュー・コンスタンシア(Beau Constantia)、イーグル・ネスト(Eagles’ Nest)の3つのワイナリに行くことができます。
およそ1時間(±30分)ごとにバスが巡回し、チケットを持っていれば、どの時間帯のバスでも乗ることができます。

ウォーターフロントまたは街の中心(ロングストリートのオフィス)などの乗り場からMini Peninsula Tourのバスに乗り、カーステンボッシュ植物園を経由して、コンスタンシアのワイナリを巡回していきます。
コンスタンシアからの帰り道には、ホウトベイを経由して街まで戻ります。

費用を低く抑えられる反面、巡回するワイナリ以外に行けないのと、機動的に(効率的に)観光して回ろうとすると、少し不便かもしれません。

●タクシー(Uber)
ドライバ付き車両同様、訪問する場所や滞在する時間を自由に決められ、飲酒運転を気にせずワインを楽しむことができるのが利点です。

ワイナリに付け待ちのタクシーはいないので、帰りの手配も忘れずにしておいてくださいね。

コンスタンシア地区

*********************

◆コンスタンシア地区のワイナリ
現在、コンスタンシア地区には以下のようなワイナリがあります。
ワインの試飲やレストランでの食事は予約が必要なところがありますので、事前にwebサイトでご確認ください。
個々のワイナリについては、別途記事にしようと考えています。

●グルート・コンスタンシア(Groot Constantia)
ワインの試飲:可(敷地内に3か所あります)
食事:可(Jonkershuis レストラン / Simon's レストラン
Webサイト: https://grootconstantia.co.za/

ワインの試飲やレストランでの食事以外に、ここを所有していたクローテ家が住んでいたころの生活を再現した博物館もあります。
また、ワイナリの見学とワインの試飲がセットになった体験コースもあります。


●クレイン・コンスタンシア(Klein Constantia)
ワインの試飲:可
食事:可(The Bistro レストラン)
Webサイト: https://www.kleinconstantia.com/

ヘンドリック・クローテ(Hendrik Cloete)が作り出したコンスタンシアワインをできる限り忠実に再現した「ヴァン・ド・コンスタンス(Van de Constance)」も試飲できます。

●バイテンフェルワハティング(Buitenverwachting)
ワインの試飲:可
食事:可(Beyond レストラン) 
Webサイト: http://www.buitenverwachting.com/

レストランのほかにCoffee BloCというコーヒーショップもあります。

●ビュー・コンスタンシア(Beau Constantia)
ワインの試飲:可
食事:可(Chef's Warehouse レストラン
Webサイト: http://www.beauconstantia.com/

●コンスタンシア・グレン(Constantia Glen)
ワインの試飲:可
食事:可(レストランあり)
Webサイト: https://www.constantiaglen.com/

●イーグルズ・ネスト(Eagles’ Nest)
ワインの試飲:可
食事:可(レストランはありませんが、ワインを試飲する際の食べ物があります)
Webサイト: https://www.eaglesnestwines.com/

●シルバーミスト(Silvermist)
ワインの試飲:不可
食事:可(La Colombe レストラン / Green Vine Eatery レストラン)
Webサイト: https://silvermistestate.co.za/

●ハイ・コンスタンシア(High Constantia)
ワインの試飲:可
食事:不可
Webサイト: http://highconstantia.co.za/

●コンスタンシア・アイツァ(Constantia Uitsig)
ワインの試飲:可
食事:可(Blockhouse Kitchen レストラン / La Grotto レストラン) 
Webサイト: http://uitsig.co.za/

レストラン以外にヘリテージ・マーケット(Heritage Market)というところが敷地内にあり、簡単な食べ物やアイスクリームなどを購入することもできます。

●スティーンバーグ(Steenberg)
ワインの試飲:可
食事:可(Tryn レストラン)
Webサイト: https://www.steenbergfarm.com/

コンスタンシア地区ではありませんが、ケープ半島からの帰り道に寄り道できるところにあります。



車を運転する場合は飲酒を控えてくださいね。

ワイナリ コンスタンシア地区



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コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
コンスタンシア(Constantia) ④
◆ケープワインの受難

●帝国特恵関税
オランダ東インド会社がオランダとアジアの間を往復する会社の船に食糧補給する基地を設立するため、ヤン・ファンリーベック(Jan van Riebeeck)一行をケープに派遣したのが1652年でした。
それ以来、ケープはオランダ東インド会社の植民地でしたが、1795年から1803年までの1度目のイギリス占領時代のあと、1806年から2度目のイギリス占領(植民地)時代が始まりました。

1800年代初めにヨーロッパで起きたナポレオン戦争の中で、イギリスとヨーロッパ大陸(フランス)との間の貿易が遮断されました。
ヨーロッパ大陸から物資を手に入れられなくなったイギリスは、代わりに植民地からの輸入品に対する関税の軽減(帝国特恵関税)を行って積極的に輸入したため、ケープで生産過剰だったワイン(一般的なワイン)がイギリス向けに大量に輸出されるようになり、一時的にケープのワイン生産者は大きな利益を得ることができました。

しかし戦争終結後からイギリスではヨーロッパ大陸からの物資も自由に手に入るようになり、徐々に特恵関税は緩和され、最終的には1861年に特恵関税が廃止されました。
ワインについても、フランスから良質なワインを輸入することができるようになり、イギリスがわざわざケープから運ぶことをやめてしまったことで、ケープでは消費しきれないワインが大量に余り、ワイン生産に大きな打撃を与えました。

そもそも、コンスタンシアで作られていた甘いデザートワインを除いて、その当時ケープで生産されていた一般的なワインは、ワインに向かないブドウ品種を使っていたり、農民に金銭的余裕がなかったこと、ワイン醸造に必要な設備や知識の不足などによって出来が悪く、ヨーロッパ(イギリス)ではとても評判が悪かったそうです。
(現在の南アフリカワインは、1900年代後半に入ってからのワインに適した品種の導入や、ブドウ栽培やワイン醸造の新しい技術の導入によって、世界のコンテストでいくつも賞を獲得するような質の高いワインが作られるようになりました)


●病害虫
1800年代後半に起きた大規模なブドウの病害虫により、ケープのブドウ生産に大きな影響を与えました。
1858年にうどんこ病(Oidium tuckeri)が、1886年にフィロキセラ(Phylloxera)がケープで見つかりました。

特にヨーロッパでも大きな被害を与えたフィロキセラ(ブドウの木に寄生するアブラムシ)の上陸は、ケープのワイン生産地にも広がり、ブドウの木は壊滅的な被害を受けました。(コンスタンシアでも1898年に見つかり被害を受けた)

幸い、ケープで見つかったころにはヨーロッパでフィロキセラに対する対処法(耐性のあるアメリカ産ブドウの根を台木として接ぎ木する)が発見されていたので、それまで栽培されていたブドウの木を引き抜いて焼却し、接ぎ木した新しいブドウの木に植え替えることで被害を収束させることができました。

フィロキセラの被害が広がったことで、コンスタンシアの甘いワインの生産は途絶え、ブドウ以外の果物の栽培を始めて多角化を図る農家もいました。


●苦難を乗り越えて ~ 現在
様々な苦難を乗り越えて、シモン・ファンデルステルが開拓したコンスタンシア地区は、近年新しく始めたワイナリも含めてワイン生産地の一つとして現在もワイン生産を続け、また、かつてヨーロッパで人気のあった魅惑的なコンスタンシアワインも復活されたことで、海外にも知られるワイン生産地の一つとして位置付けられています。



ワイナリに行った際、コンスタンシアの歴史を振り返りながらワインの試飲や食事をすると、より思い出深い経験になるのではないでしょうか。




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コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
コンスタンシア(Constantia) ③
◆コンスタンシア・ワイン
1700年代終わりにコンスタンシアという名前をヨーロッパに広めたのは、甘いデザートワインでした。

当時のヨーロッパ、とくに王侯貴族の間でもてはやされ、プロセイン、イギリス、フランス王室などで飲まれていました。
フランス皇帝だったナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日~1821年5月5日)も流刑地セントヘレナ島で過ごした5年半(1815年10月17日~死去)、わざわざこのコンスタンシア・ワインを取り寄せて飲んでいたといわれています。

また、ジェーン・オースティンの「分別と多感」(Sense and Sensibility:1811年)、シャルル・ボードレールの「悪の華」(Les fleurs du mal:1857年)、チャールズ・ディケンズの「エドウィン・ドルードの謎」(The Mystery of Edwin Drood:1870年)、ジョリス=カルル・ユイスマンスの「さかしま」(A rebours:1884年)といった当時の小説などにも登場するほど特別な存在でした。

シモン・ファンデルステル(Simon van del Stel)の時代に造り始められたコンスタンシア・ワインは、彼の土地を購入したコリン家(Colijns)やクローテ家(Cloetes)らによって引き継がれていきましたが、1800年代の終わりにフィロキセラ(害虫)によってブドウの木が大きな被害を受けたことで途絶えることとなりました。

1980年、現在のクレイン・コンスタンシア(1712年当時のクレイン・コンスタンシアとは別な場所)を購入したダギー・ヨーステ(Duggie Jooste)は、シモン・ファンデルステルがワイン生産を始めた頃のブドウの木を探し出して栽培し、記録をもとにかつての製法をできる限り忠実に再現してコンスタンシア・ワインの復活を試みました。
1986年に初めてブドウが収穫され、1990年より「ヴァン・ド・コンスタンス(Vin de Constance)」という名前で甘いコンスタンシア・ワインの販売を始めました。

その後、2003 年にグルート・ コンスタンシア(Groot Constantia)というワイナリから「グランド・コンスタンス(Grand Constance)」という名前で、2007 年にバイテンフェルワハティング(Buitenverwachting)というワイナリから「1769」という名前でコンスタンシア・ワインを販売し始めました。




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コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
コンスタンシア(Constantia) ②
◆コンスタンシアの分割
ファンデルステルが1712年に亡くなったとき、彼の4人の息子たちはケープにいませんでした。
2人はケープを追い出されてオランダに、1人はインドネシアのアンボイナで知事を、もう1人は乗っていたバタビア(オランダ東インド会社のアジアの拠点:現在のインドネシア・ジャカルタ)行きの船が行方不明になっていました。

そのためコンスタンシアの土地は息子たちには引き継がれず、3つの土地に分割されてオークション形式で売却されました。

3つに分割された土地は、グルート・コンスタンシア(Groot Constantia)、クレイン・コンスタンシア(Klein Constantia)、ベルフフリット(Bergvliet)という名前で呼ばれ、その後も何人もの人の手に渡り、さらに分割・統合を行いながらコンスタンシアは引き継がれていきました。
(クレイン・コンスタンシアは、のちにデ・フープ・オプ・コンスタンシア(De Hoop op Constantia)という名前に変わり、最終的には現在のグルート・コンスタンシアに吸収されました)

ただし、これらの土地を購入した人たちの中には不動産投資を目的にした人もいて、ファンデルステルが亡くなった後、コンスタンシアのすべての土地でブドウ栽培やワイン醸造が熱心に行われていたわけではなかったようです。


◆コンスタンシア(Constantia)という名前
ファンデルステルがこの土地を与えられたきっかけが、インド評議会委員ライクロフ・ファンゴエンス(Rijckloff van Goens)の提言だったため、彼の娘の名前「コンスタンシア(Constantia)」をこの地の名前にしたと言われています。

他にも、オランダからバタビアを往復する貿易船で、ケープに立ち寄った船の名前の一つ「Constantia号」から取って名付けたとも言われています。

ただし、Constantia号がケープに立ち寄ったのは、1667年12月24日から1668年1月24日までで、ファンデルステルがこの土地を会社から譲り受けた1685年とは20年近くのずれがあるのと、ファンデルステルがケープに来たのも1679年なので、Constantia号がケープに立ち寄ったことは知らなかったはずです。(この時のConstantia号は1665年から1668年までオランダ東インド会社が借りていた船)

後に1782年にもConstantia号という名前の船がオランダ東インド会社によって建造されました。(オランダとバタビアとの間を4回往復し、5回目の航海の途中、1795年にマラッカでイギリス軍に拿捕されました)




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コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
コンスタンシア(Constantia) ①
◆コンスタンシア
南アフリカ(特にケープタウン周辺)には多くのワイナリがあり、ワインの生産が行われています。
日本でも南アフリカ産ワインが販売されているお店が増えましたね。

南アフリカ(ケープタウン)に旅行で来られる方の中には、ワイナリ(ワイン)が目的で来られる方もいらっしゃいます。

今回から紹介するコンスタンシア(Constantia)という地区は、南アフリカのワイン生産地の一つで、ケープタウンの中心から20kmほど(車で30分ほど)のところに位置し、主要な観光コースの中に組み込まれています。

また、市内中心とケープ半島との間の道中に位置するので、ケープ半島を観光した帰り道に立ち寄ることも可能です

◆コンスタンシアの始まり
コンスタンシアという地域の始まりは、1685年、当時ケープを統括していた司令官シモン・ファンデルステル(Simon van der Stel)に、この地域一帯の土地がオランダ東インド会社から与えられたのが始まりです。
(与えられたといっても、元々は先住民のコイコイ人が牛を放牧したり、サン人が狩猟していたところで、誰かが所有権を持っていたわけではありませんが)

1679年、オランダ東インド会社のインド評議会委員を務めていたライクロフ・ファンフーンス(Rijckloff van Goens)が病気療養のためにケープを訪れ、その後、彼がオランダ東インド会社の統治機関(17人会)にファンデルステルに土地を与えるよう勧告しました。

それから数年後、ケープやインドなどの植民地において、会社の社員が不正行為を行っていないか調査するよう、17人会から指示を受けたヘンドリック・ファンリーデ(Hendrik Adriaan van Rheede tot Drakenstein)は、1685年にケープを訪問しました。
その際、ファンデルステルに現在のコンスタンシア地域の土地(763ha)を所有することを許可しました。

ファンデルステルは、土地の所有を認められると、ヨーロッパから1万本ものブドウの苗木を持ち込み、コンスタンシアでブドウ栽培を始めました。

●シモン・ファンデルステル(Simon Van der Stel)とは?
シモン・ファンデルステルはオランダ東インド会社のケープ植民地の司令官として1679年10月にケープにやってきました。
ヨーロッパとアジアを結ぶ貿易船に食料を十分供給できるよう、彼は自ら新しい土地を探索・調査し、現在のステレンボッシュ(Stellenbosch)、フランシュフック(Franschhoek)、パール(Paarl)、ウェリントン(Wellington)周辺まで積極的に農場の拡大を行いました。

ファンデルステルは、1691年にケープ植民地の司令官から総督という職名に変わり、1699年まで務めました。
その後、1712年に死去するまでコンスタンシアで過ごしました。




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コンスタンシア | 17:00:00 | トラックバック(0) | コメント(0)